どうも、そらです。空港ラウンジナウです。移動中に読んだ漫画で泣いたので記事書きます。
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お母さん二人いてもいいかな!?中村キヨ、中村珍エッセイ漫画を読んで思ったこと。
感想というのはどうも慣れない。小学生の頃から読書感想文も大嫌いだったし、感想を述べよと言われても戸惑う。
だけど、やっぱり自分が感じたことを文字にすることはとても楽しくて、今の感情をありのままに文字に置いておきたいと思ったので筆をとりました。
仲村キヨ先生を【レズと7人の彼女たち】で知って興味を持ちました。
作書の中村キヨさんについては、LINEで「レズと7人の彼女たち」という作品に出会ったことで知りました。
それから、KindlePremiemで読み放題だった、【ママ母手帳 「お母さん二人いてもいいかな!?」の、これまで。】を読破し、その後一番タイトルに興味を惹かれた【お母さん二人いてもいいかな!?】を購入しました。
ただ、ここ3日間は実は出張で、一気読みをすることが出来ず、眠気覚まし感覚で読んでたんですが、最後らへんで涙出てきて、あ、これ完全に眠気飛んだし、今ちょっと文字化したいわってなりまして、現在進行形でカタカタ打ってるわけです。
エッセイ漫画っていうのは、私にとってとても興味深いジャンルです。
絵柄の好みやコマ割りの上手い下手はもちろんありますが、その人に魅力を感じるかというところがエッセイ漫画の面白いor面白くないを分けるところだと考えています。
今回の中村さんの絵柄は、私的に好きだったし、それに何より、中村さんの人物像がが私にとって、とても魅力的に映りました。
エッセイってものを読んだ時に「へーこう言う人もいるのね」とか、「この人すごすぎる」とか色々とあると思うのですが、今回私が一番初めに【レズと7人の彼女】を読んで思った感情は、「えっこれってノンフィクションですか??」って言う疑問でした。
だって、私の身近には、タトゥーを入れてスーツで記者をやっている知り合いは居ないし、流石に7又の知り合いも居ないからです。
同性愛者の友人はいるということもありますが、中村さんがレズビアンであることよりも、彼女の仕事の仕方や人生経験などに興味を惹かれました。どう言う人生歩いてきたんだ?ってことにです。
(私が今から書くことは、私が感じたことなので、実際には本を読んでみていただきたいのですが)中学卒業が最終学歴というところや、ヒンディー語とネパール語が話せたりするとか、「えっそれ、まじすか!」って思ったわけです。
で、そこからは「中村キヨ」「中村珍」について調べて、この方が1985年生まれで私よりちょっと年上であるぐらいだということを知り、驚いたり、憧れたりしました。
信念がブレない人はどんなことをしてても筋が通ってるんじゃないかな。
「憧れる」と言うのはちょっとニュアンスが違うのですが、素直に「この人かっこいいなー」って思えた箇所がいくつかあります。
例えば、【レズと7人の彼女】については出版社から出しているのではなくて、自分でNoteで連載して自分で本にしているというところでした。
電子配信とかも自力でだし、なんか普通に好きです。
また、LINEスタンプの販売だったり、「あー、この人描くだけの人じゃなくて、全部企画からやる人なんだな」って感じを受けました。
また、いろんな職種を並行してやってるけど、結局自身の信念が一本通ってる印象が強かったです。
本の感想というか、ぶっちゃけ結構「あとがき」で泣いた感じは否めない(笑)
正直最初らへんは登場人物をそれぞれうまく理解できなくて(えっと、、、この人どの人やったっけってなってた、、、)なかなか入り込みにくいなとかも思ってたんですが、中盤から最後にかけてがよかったと思います。
そして、あとがき読んで、この人の文章力やべーわってなって(記者さんならそりゃそうか)、色々考えて、「ああそうか」って腑に落ちた。
中村キヨ先生は、「愛ってなんですか?」って質問されたことを、いつも思い返してて、自分の根幹的なものになったんじゃないかなって勝手に感じました。
「愛ってなんですか?」という質問にはまだ説明がつきませんが、「これのことじゃないかな?」と思ったもの全てに、片っ端から、言語化・可視化を挑もうと思います。私はこの質問に答えたい!
2015年9月14日、月曜日の夜。本書の打ち合わせ帰り、山手線の車内にて。
引用:お母さん二人いてもいいかな!?
なんか、いいなって思った。
正直、人って完璧な人はいないわけだから、中村キヨさん自身にも色々とダメなところもあるんだろうし、共感できない行動ももちろんあったけど、私とは違うなってところもたくさんあったけど、すごく共感した部分もあって、なんか感動。
ご飯作れなかったところとか、自分が稼いでやるぜなところとか。
多分、考えて考えて考えて考えて生活してるんだろうなとか。
いや、考えてっていうのは違うのかな。ただ、毎日の生活の中で、こう、色々と頭の中で自分自身と議論してるのが普通な感じの人なのかな。
じゃないと中々対応できない質問がたくさんあったと思うし、とにかく想像力がとってもすごいんだと思うんだ。
あとがきで、”今日この後すぐ死なない保証なんてまったくない人生”っていう言葉があったけど、自分が死んだ後のこととか、家族が死んだ後のこととか、自分が本当に大切な人が死んだ後のこととか想像してる訳で。
実際、本当に大好きな人の死を経験してるわけで。
私の根底にあるものはなんなのか考えさせられたので
あれですね。これ読むと、私はめっちゃフツーでめっちゃ恵まれてたと思います。
じいちゃんばあちゃんまだ両方生きてるし、みんなめっちゃ優しいし。
波乱万丈の生き方に憧れるけど、けどやっぱり私は自分のやりたいことをやる人生を送りたいと思った。
このブログのコンセプトは「好きなものを好きだという」ということですが、これは私が「好きなことを好きだと言えなかった」ことがあったから、自分が吐き出す場所が欲しくて書いてるだけです。
ちゃんと読者さんのことを考えてる訳じゃないし、すごくすごくすごくすごく自己満足。
でも、ブログにその時の感情を残してたら、すごくすごく安心するんです。
シュトヘル2巻で彼女が泣いたように、”私が死んでも覚えていてくれる”っていう気持ちがあるんです。
もちろんそれは、誰かが読んでくれるからとか、共感してほしいからとかというより、未来の自分に、今の自分を覚えておいて欲しいという気持ちがとても大きいです。
実際、小学生の頃の日記も感情をよく書き散らしたものが多く、小5の頃の自分が書いた文章に泣いたりします。
文字というものは、なんという発明なんだろうと思うし、これからも駄文でも、自分が書いたものを残していきたいと思う。
それは、私が生きていく為に必要なこととモノであって、一つの道しるべみたいなものだと思う。
書くことで、自分と対話して、文字にすることで「ああ私はこう思ってたんだ」って気づく。
中村先生の言う所の「言語化」になるのかなって思った。
「好き」と言うことは、とてもとてもとても怖くて、「好き」と言っていたら何か変わっていたのかわからないけれど、「好きと言えた」ことも、「好きと言えなかったことも」全部ひっくるめて文章にしていきたい。
これは”仕事”じゃないから、めっちゃ読みにくいし、伝わりにくい。
ただ、いつかこの気持ちを忘れてしまった私に気づくきっかけぐらいは与えてくれるんじゃないかと、そんな小さな小さな理由で、私は文字を書きたい。
文章が拙くても、文字を並べていけば文章というのは多かれ少なかれ意図を伝えることができるから、気持ちを書き残すことができるから、気が向いたときに、書きたい衝動に襲われた時に、筆をとりたいと思うのです。
記者やライターとして仕事で文章を書くのとは、また違った使い方ができることを知っていて欲しいと思うので。
投稿者プロフィール
- 【そらの書き物】の管理人。週刊少年ジャンプを愛読書に、会社員魂を燃やして働いていたけれど、退職して独立し上京。現在は法人化を目指してコツコツやってます。
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